何者? 脳から性ホルモンに「出せ」と号令をかけるペプチド。
海外では? 生殖医療と男性ホルモン低下の研究で注目されている。
日本では? 未承認。承認薬はどこの国にもない。
結局、なにをする成分?
キスペプチンは、脳の視床下部(ホルモンの司令室)ではたらくペプチドです。
やることはひとつ。GnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン)を出させる。それだけです。
でもこの「それだけ」が大きい。体の中では、こういう連鎖が起きているからです。
- キスペプチンが号令をかける
- GnRH が出る
- LH/FSH(下垂体から出る指令ホルモン)が出る
- テストステロンやエストロゲンが作られる
会社にたとえると分かりやすいです。テストステロンは現場が作る製品。LH/FSH は現場に届く発注書。GnRH は発注書を書く部長。そしてキスペプチンは、その部長に「動け」と言う社長です。
つまりキスペプチンは、性ホルモンの連鎖のいちばん上流に立っています。名前のかわいさとは裏腹に、扱っているのは体の根幹のスイッチです。
ここを押さえておくと、この成分の話は一気に分かりやすくなります。テストステロンやエストロゲンは、単独でぽつんと作られているわけではありません。上から下へ、指示が順番に降りていく仕組みの、いちばん最後の産物です。キスペプチンはその流れの起点にいる。だから研究者が注目してきました。
なぜ海外でバズってるのか
きっかけは、テストステロン補充の弱点です。
テストステロンを外から入れると、体は「もう足りている」と判断します。そして自前の分泌を止めてしまう。工場のラインが止まるようなものです。
キスペプチンは、立っている位置が違います。号令を出す側に働きかけるので、自前の分泌を保ったまま調整できる可能性がある。そう言われています。
この一点で、生殖医療や男性ホルモン低下の研究者が関心を寄せてきました。「テストステロン ペプチド」で検索したときに名前が出てくるのも、この文脈です。
生殖医療の側から見ても、興味の向く先は同じです。性ホルモンの連鎖を上流から動かせるなら、下流だけをいじるより自然な形になるのではないか。研究の関心は、そこに集まっています。
ただし、可能性がある、と言われている段階です。証明された、ではありません。ここを飛ばして「テストステロンが自然に増えるペプチド」と紹介している記事は、かなり先まで話を進めすぎています。
で、効くの?
| 研究の段階 | 到達 | 中身 |
|---|---|---|
| ヒト第III相 | × | 承認薬は存在しません |
| ヒト臨床研究 | ○ | 生殖内分泌の領域で実施されています(Dhillo ら 2005) |
| 動物 | ○ | 視床下部での作用は基礎研究で示されています |
| 試験管 | ○ | GnRH 分泌を促す仕組みが調べられています |
代表的な報告は、Dhillo らが 2005年に J Clin Endocrinol Metab に出したヒトでの研究です。
大事なのは上の2段です。ヒトで研究されているのは事実。けれど「薬として承認される」ところまでは、まだ誰も届いていません。
ヤバい点は?
- 長期の安全性が未確立です。 分かっていない、が正確な状態です。
- 承認薬がゼロ。 どの国にもない、ということは、審査を通ったデータがないということです。
- 触るのが最上流だという点。 一番上のスイッチを外から押したとき、下流でどう波及するかは読みにくい。
- 未承認品は中身が保証されません。 表示どおりの物質かどうかを、第三者が確かめていません。
- 日本では未承認のため、健康被害が起きても医薬品副作用被害救済制度の対象外です。
日本と米国の今
| 日本 | 米国 | |
|---|---|---|
| 医薬品としての承認 | なし(未承認) | なし(未承認・研究段階) |
| 位置づけ | 承認薬ではありません | ヒトでの臨床研究が続いている段階 |
| 救済制度 | 未承認のため対象外 | ― |
ペプチ堂管理人の本音
僕がキスペプチンを面白いと思うのは、話の筋が本当にきれいだからです。外からホルモンを入れると自前が止まる。だったら、出させる側を押せばいい。理屈として反論しにくい。
でも、理屈がきれいなことと、薬になることの間には長い距離があります。この20年、生殖内分泌の研究者はずっとキスペプチンを追いかけてきました。それでも承認薬は一つも出ていない。ここは黙って受け止めるべき事実だと思っています。
承認薬がゼロというのは、地味ですが決定的な情報です。効きそうな仮説は、世の中に山ほどあります。そこから薬になるものだけが、審査という関門をくぐる。キスペプチンはまだくぐっていない。それだけの話です。
もうひとつ。ホルモンの最上流は、体がいちばん厳重に守っている場所です。年齢や体調に合わせて、体が自分で加減している。そこへ外から号令を上書きするのは、社長室に他人が座るのと同じです。研究者が管理下でやる話であって、個人が試す話ではない。僕は勧めません。
よくある質問
Q. キスペプチンとは何ですか。 A. 視床下部ではたらき、GnRH の分泌を促すペプチドです。性ホルモンが作られる連鎖の、いちばん上流にあたります。
Q. テストステロンは増えますか。 A. GnRH → LH/FSH → テストステロンという連鎖の起点である、という仕組みが知られています。ただし承認薬はなく、長期の効果は確立していません。
Q. テストステロン補充と何が違いますか。 A. 補充はホルモンそのものを外から入れます。キスペプチンは出させる側に働きかけるため、自前の分泌を保てる可能性があると言われています。
Q. 副作用はありますか。 A. 長期使用の安全性は未確立です。報告がないことは、安全であることを意味しません。
Q. 日本で使えますか。 A. 未承認です。承認薬ではないため、副作用被害救済制度も適用されません。
関連する成分
- オキシトシン — 同じく視床下部から出る、承認済みのペプチドホルモン
- イパモレリン/CJC-1295 — 「自前で出させる」という同じ発想の未承認ペプチド
- PT-141(ブレメラノチド) — 性機能の文脈で語られる、承認まで進んだペプチド
出典
- Imperial College London. Kisspeptin hormone injection could treat low sex drive in women and men. 2023年2月3日. https://www.imperial.ac.uk/news/242901/kisspeptin-hormone-injection-could-treat-drive/
- Imperial College Healthcare NHS Trust によるプレスリリース(同一研究). https://www.imperial.nhs.uk/about-us/news/kisspeptin-hormone-injection-could-treat-low-sex-drive-in-women-and-men
- 上記の2試験は JAMA Network Open(2023年)掲載。HSDD のある男女を対象とした小規模な無作為化・プラセボ対照試験(Comninos AN、Dhillo WS ら/英 Imperial College London)
- 医薬品としての承認:日本・米国ともになし
- Dhillo WS, et al. J Clin Endocrinol Metab. 2005.
- 海外ペプチド情報の見分け方



