海外では「ベンゾ並みに効いて、眠くならず、依存もしない」という三点セットで語られます。
ロシアでは医薬品として登録済み。米国・EU・日本ではすべて未承認です。
結局、なにをする成分?
セランク(Selank、TP-7 とも呼ばれます)の出発点は、タフトシン(Tuftsin)という4アミノ酸のペプチドです。免疫グロブリンの一部から切り出される内因性ペプチドで、マクロファージの活性化など免疫系の調節に関わります。
ロシアの研究グループは、このタフトシン(Thr-Lys-Pro-Arg)の末端にプロリン-グリシン-プロリン(Pro-Gly-Pro)を付け足しました。セマックスとまったく同じ安定化手法です。書類にラミネートをかけるあの発想。血中での分解に耐えるようになり、7残基のセランクが生まれました。
面白いのは経緯そのものです。免疫系のペプチドから抗不安薬が出てきた。狙って生まれた薬ではありません。
作用機序として報告されているのは、GABA-A 受容体(脳を落ち着かせる側の鍵穴)系への間接的な影響、エンケファリン分解の抑制、セロトニン・ドーパミンなどモノアミン代謝への作用、BDNF 発現の変化。どれが主役なのかは確定していません。
ベンゾジアゼピンのように受容体へ直接結合するわけではない——この点が「依存が起きない」という主張の根拠として持ち出されます。
投与形態はセマックスと同じく点鼻(経鼻投与)です。
なぜ海外でバズってるのか
売り文句が現代人の欲しがるものそのままだからです。「ベンゾ並みに効く」「眠くならない」「依存しない」「離脱もない」。
ベンゾジアゼピンの依存性問題が広く知られたあとの世界で、これ以上に刺さるコピーはなかなかありません。
で、効くの?
| 研究の段階 | セランク |
|---|---|
| ヒト第III相 | × |
| ヒト第II相 | △(ロシア国内62名の対照試験。プラセボ群なし) |
| 動物実験 | ○ |
| 試験管(細胞) | ○ |
必ず出てくるのが Zozulya AA ら(2008、ロシア語誌)です。全般性不安障害・神経衰弱の患者62名でベンゾジアゼピン系のメダゼパムと比較し、抗不安作用は同程度で、鎮静や認知機能低下を伴わなかったと報告しました。
ただし読み方に注意が要ります。62名はスクリーニング的な第II相相当で、第III相の規模ではありません。そしてベンゾとの比較試験でプラセボ群が置かれていない設計は、「両方効かなかった」可能性を排除できないという古典的な弱点を抱えます。
動物では不安様行動の減少やストレス負荷下での行動指標の改善、細胞ではエンケファリン分解酵素の抑制やセロトニン代謝への影響が報告されていますが、いずれも仮説の段階です。
分かっていないことも並べます。プラセボ対照での効果量、「依存性がない」ことを長期投与で確認した試験、タフトシン由来ゆえの免疫系への長期影響、非ロシア人集団でのデータ、SSRI やベンゾジアゼピンとの併用時の相互作用。
ヤバい点は?
- 免疫系への影響が未検証。 もとが免疫調節ペプチドである以上、長期投与で免疫応答がどう変わるかは真っ先に確認すべき項目ですが、そのデータは公開されていません。
- 点鼻の局所症状。 鼻腔の刺激感、味覚異常、投与初期の眠気やだるさが報告されています。
- 「副作用が少ない」の出所。 ロシアの資料では忍容性良好とされますが、審査主体と報告体制が限られた環境での「少ない」です。
- 精神症状に自己判断で使うこと自体のリスク。 本来必要な診断と治療を遅らせます。
- 未承認。 国内で流通するものは純度・不純物・実含有量が保証されず、健康被害が生じても医薬品副作用被害救済制度の対象外です。
日本と米国の今
| 国・地域 | 状況 |
|---|---|
| ロシア | 医薬品として登録(全般性不安障害、神経衰弱) |
| 米国 | 未承認。FDA は医薬品として承認しておらず、ダイエタリーサプリメント成分としても認めていない |
| EU | 未承認 |
| 日本 | 未承認。健康被害が生じても医薬品副作用被害救済制度の対象外です |
ペプチ堂管理人の本音
「効く・眠くならない・依存しない」の三点セットを見るたび、僕は同じことを思います。その三つが同時に成立するなら、なぜ40年近く経ってもロシア国外の製薬企業がひとつも開発を引き継いでいないのか。
抗不安薬市場は巨大です。本当に依存性のない同等効果の薬があるなら、特許が切れていようが誰かが検証に動くはずの規模の話です。動いていない。この沈黙は物質が無価値である証拠にはなりませんが、「西側が見落としているだけ」という説明を素直に受け取る理由にもなりません。
もうひとつ。比較対象のメダゼパムは、日本でも西側でもほとんど使われなくなった古い薬です。「ベンゾと同等」という文言は、どのベンゾと、どの用量で比べたかで意味がまるで変わります。こういう細部が抜け落ちたまま一行に圧縮されて拡散するのが、この分野の典型的な壊れ方です。
僕は誰にもセランクを勧めません。ただ、語られ方の壊れ方は記録しておく価値があると思っています。
よくある質問
Q. セランクとは何ですか? A. 免疫ペプチドのタフトシンをもとにロシアで合成された7アミノ酸のペプチドで、ロシアでは全般性不安障害の医薬品として登録されています。
Q. 本当にベンゾジアゼピンと同じくらい効くのですか? A. ロシアで行われた62名規模の比較試験でそう報告されていますが、プラセボ対照が置かれておらず、西側での追試もありません。「そう報告されている」以上のことは言えない段階です。
Q. 依存性はありませんか? A. 依存性がないと主張されていますが、長期投与でそれを確認した公開データは確認できません。
Q. 日本で買えますか/違法ですか? A. 未承認医薬品であり、国内での製造・販売・広告は薬機法の規制対象です。承認薬ではないため、副作用被害救済制度も適用されません。
Q. セマックスとの違いは? A. 安定化の手法(Pro-Gly-Pro の付加)は共通ですが、由来配列が違います。セマックスは ACTH 由来で神経保護・認知の文脈、セランクはタフトシン由来で抗不安の文脈です。
関連する成分
- セマックス(Semax) — 同じ設計思想で作られたロシア系ペプチド
- ピネアロン(Pinealon) — ロシア発「バイオレギュレーター」系トリペプチド
- DSIP(デルタ睡眠誘発ペプチド) — 睡眠・ストレス領域で語られる未承認ペプチド
出典
- ロシア連邦における医薬品登録(Selank/点鼻。抗不安薬として処方薬に登録)
- 開発元:ロシア科学アカデミー 分子遺伝学研究所(Institute of Molecular Genetics, RAS)。免疫由来の4アミノ酸ペプチド「タフトシン」に Pro-Gly-Pro を付加した安定化アナログ
- 全般性不安障害を対象としたロシアの二重盲検試験で、ベンゾジアゼピン系(メダゼパム等)と比較した報告がある。いずれも小規模・ロシア語文献で、西側での独立再現はない
- 米国 FDA・日本 PMDA:いずれも未承認
- Zozulya AA, et al.「新規ペプチド性抗不安薬セランクの全般性不安障害および神経衰弱に対する有効性と作用機序」Zh Nevrol Psikhiatr Im S S Korsakova. 2008.
- Kolomin T, et al. Selank による遺伝子発現変化に関する研究(ロシア語文献)
- 海外ペプチド情報の見分け方



