成長ホルモン(hGH)の「脂肪を落とす部分」だけを切り出した合成ペプチド。GLP-1 系ではない。
海外では「副作用なしで脂肪だけ落ちる」というコピーで語られるが、ヒトの第II相で効果を示せず2007年に開発中止。
日米ともに未承認。2024年12月の米 FDA 諮問委員会は0対12で否決。
結局、なにをする成分?
AOD-9604(AOD9604)は、1990年代にオーストラリアの Metabolic Pharmaceuticals が開発した合成ペプチドです。AOD は Anti-Obesity Drug(抗肥満薬)の略で、開発コードがそのまま名前になりました。
出発点はひとつの仮説です。成長ホルモン(hGH)には「体を成長させる」作用と「脂肪を分解する」作用がある。脂肪分解に関わるのは分子の一部だけではないか、という発想です。
たとえるなら、hGH は「万能の工具セット」です。そこから「脂肪を削るノミ」だけを抜き出したのが AOD-9604。hGH の端っこ(アミノ酸 176〜191)に相当する配列に、チロシンを1つ足した構造です。
狙いは明快でした。hGH そのものを打つと IGF-1 が上がり、血糖の扱いが悪くなるなどの問題が出る。でも「脂肪を落とす部分」だけなら、副作用なしに脂肪分解だけ得られるはず——。創薬としてはきれいな物語です。問題はこの先で起きました。
なお、hGH 176-191(いわゆる「HGH フラグメント」)と AOD-9604 は英語圏でよく混同されますが、AOD-9604 はチロシンを付けた誘導体で、厳密には別物です。
なぜ海外でバズってるのか
ひとつは、スキャンダルです。2013年のオーストラリアン・フットボールリーグの薬物問題(エッセンドンの一件)で AOD-9604 が世間に知られました。禁止物質かどうかで揉めた末に、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)が「禁止表 S0 に該当する」と声明を出しています。皮肉なことに、これが知名度を作りました。
もうひとつは、コピーの強さです。「hGH の脂肪分解部分だけ」という言葉は、成長ホルモンに憧れつつ副作用を恐れる層に完璧に刺さります。物語として、あまりに出来がいい。
で、効くの?
| 研究の段階 | 状況 |
|---|---|
| ヒト第III相 | × 実施されていない |
| ヒト第II相 | × 第IIb相でプラセボに勝てず(2007年、開発中止) |
| 動物 | ○ マウスで脂肪組織の減少を報告 |
| 試験管 | ○ |
流れを追うと、こうです。
- 動物:hGH 177-191 をマウスに長期投与し、体重増加と脂肪組織量が減ったと報告(Ng ら、1990年代)。肥満マウスとβ3アドレナリン受容体ノックアウトマウスで、この作用が通常の hGH 受容体経路を必ずしも必要としないことを示唆(Heffernan ら、Endocrinology 2001)
- ヒト第I相:経口投与で重篤な有害事象は報告されなかったとされる(Stier ら、2013)
- ヒト第IIa相:小規模で、プラセボよりわずかな体重減少を報告(企業発表)
- ヒト第IIb相:より大規模な用量比較で、どの用量もプラセボに対して有意な体重減少を示せなかった(企業発表、2007年、開発中止)
決定的なのは第IIa相と第IIb相の落差です。小さい試験で見えた差が、人数を増やした試験で消えた。創薬ではよくあるパターンで、「よくあるからこそ大きい試験をやる」わけです。AOD-9604 は、その検定に落ちました。
ヤバい点は?
- 効果がヒトで示せていない:第IIb相の結果は「まだ分からない」ではなく「調べた結果、示せなかった」です
- 長期安全性データがない:開発が止まった時点で、長期データそのものが存在しなくなりました
- 「重篤な有害事象なし」の意味:第I相の話で、「短期で明らかな害が出なかった」以上の意味はありません
- 免疫原性:外から入れたペプチドに対する免疫反応は理論上の懸念です
- 品質の保証がない:未承認品は純度・不純物・エンドトキシン(細菌由来の毒素)について第三者の保証がありません
- ドーピング:WADA の禁止表 S0 に該当すると声明(2013年)
- 未承認:日本では個人輸入品で健康被害が出ても、医薬品副作用被害救済制度の対象外です
日本と米国の今
| 日本 | 米国 | |
|---|---|---|
| 医薬品としての承認 | なし(未承認) | なし(未承認) |
| 調剤(compounding) | 制度自体が異なり、該当しない | 調剤用バルク原薬のカテゴリー2に置かれた後、2024年9月時点で「指名されたが撤回された」一覧に移動。2024年12月4日の薬局調剤諮問委員会(PCAC)は「503A リストに収載すべきか」を投票し、賛成0・反対12で否決 |
| 救済制度 | 未承認のため対象外 | ― |
PCAC の 0対12 は重い数字です。12人の委員が全員、収載を支持しなかった。理由は「レビュー対象の用途について、有効性と安全性を支持する説得力のあるデータがない」というものでした。
ペプチ堂管理人の本音
僕が一番言いたいのは、これが「痩せ系」の棚に GLP-1 と並べて置かれていること自体がおかしい、という点です。セマグルチドは GLP-1 受容体を介して食欲と胃の動きを変える薬。AOD-9604 は成長ホルモンの断片。共通点は「痩せると言われている」ことだけです。当サイトでも痩せ系に入れていますが、検索する人の頭の中の分類に合わせているだけです。
僕の評価は単純です。仮説として美しく、動物で機能し、ヒトで再現しなかった物質。BPC-157 や MOTS-c のような「データの空白」とは種類が違います。空白は埋まる可能性がありますが、否定的な結果を覆すには新しい強い証拠が要ります。
2026年現在、その証拠は出ていません。使用は勧めません。
よくある質問
Q. AOD-9604 とは何ですか。 A. ヒト成長ホルモンのC末端フラグメント(176-191相当)をもとに設計された合成ペプチドです。抗肥満薬として開発され、ヒト試験で主要評価項目を達成できず2007年に開発中止となりました。
Q. GLP-1 系の薬と同じですか。 A. 違います。GLP-1 受容体には作用しません。「痩せ系」という括りで並べて語られることが多いだけで、機序も承認状況も別物です。
Q. 効果はあるのですか。 A. 動物では脂肪代謝への影響が報告されています。ヒトでは、より大規模な第II相試験でプラセボに対する有意な体重減少を示せませんでした。
Q. 副作用はありますか。 A. 短期試験で重篤な有害事象は報告されなかったとされますが、長期安全性のデータはありません。「報告がない」は「安全」ではありません。
Q. 日本で使うのは違法ですか。 A. 未承認医薬品であり、国内で医薬品として販売・広告することはできません。スポーツ競技者の場合、WADA の禁止表 S0 に該当します。
関連する成分
- セマグルチド — 同じ「痩せ系」だが、機序もエビデンスも承認状況もまったく異なる
- テサモレリン — 成長ホルモン軸に働きかけ、米国で承認された数少ない例
- イパモレリン / CJC-1295 — 同じ2024年12月の PCAC で審議され、同様に否決された
- BPC-157 — ヒトデータが「空白」の例。AOD-9604 の「否定的結果」と対比すると分かりやすい
出典
- Heffernan MA, Thorburn AW, Fam B, et al. 肥満マウスおよびβ3-アドレナリン受容体ノックアウトマウスにおける hGH および AOD9604 の脂質代謝への影響. Endocrinology. 2001.
- Ng FM, Sun J, Sharma L, et al. ヒト成長ホルモンの合成脂肪分解ドメイン(AOD9604)の代謝研究. Hormone Research. 2000.
- Stier H, Vos E, Kenley D. ヘキサデカペプチド AOD9604 のヒトにおける安全性と忍容性. 2013.
- WADA. Statement on substance AOD-9604(2013年).
- FDA. Certain Bulk Drug Substances for Use in Compounding That May Present Significant Safety Risks(AOD-9604 は「指名されたが撤回された」一覧に掲載). https://www.fda.gov/drugs/human-drug-compounding/certain-bulk-drug-substances-use-compounding-may-present-significant-safety-risks
- FDA. Pharmacy Compounding Advisory Committee 2024年12月4日会合 議事録(AOD-9604 遊離塩基・酢酸塩の 503A 収載を賛成0・反対12で否決). https://www.fda.gov/media/185642/download
- FDA. Pharmacy Compounding Advisory Committee(PCAC)2024年12月4日会合 議事録・投票結果.




